経営会議でメンタルヘルス施策の予算を提案する際、「その施策でどれくらい儲かるのか?(コスト削減になるのか?)」という問いに言葉を詰まらせてしまう人事担当者や経営企画の方は少なくありません。
しかし健康経営がトレンドとなる中、メンタルヘルス対策は「福利厚生」から「人的資本投資」へとフェーズが移行しているのも事実です。本記事では、WHO(世界保健機関)などのデータを交えながら、見えにくいメンタルヘルス対策のROI(投資対効果)を算出し、経営陣を納得させるための5つの重要指標(KPI)について解説します。
メンタルヘルス不調による莫大な「隠れコスト」

メンタルヘルスのROIを語る上で、まず経営陣と共有すべきなのは「何もしないことによる損失」の大きさです。
WHO(世界保健機関)の推計によると、うつ病や不安障害などのメンタルヘルス不調による世界経済の損失は、生産性低下によって年間1兆ドル(約150兆円)に上るとされています。また、労働安全衛生を研究するNIOSH(米国国立労働安全衛生研究所)の枠組みでも、労働者の心理的健康が企業の業績や安全管理に直結することが示されています。
つまり、メンタルヘルス対策への投資対効果を測る第一歩は、自社に潜む「見えない損失」を可視化することに他なりません。
経済損失の2大要因:アブセンティーイズムとプレゼンティーイズム

健康経営の効果測定において、必ず押さえておくべき2つの概念があります。
アブセンティーイズム(Absenteeism)
心身の不調による欠勤・休職・遅刻・早退。代替要員の確保や、採用・育成コストの増加など、企業への影響が目に見えやすく、勤怠データで比較的容易に把握できます。
プレゼンティーイズム(Presenteeism)
出勤はしているが、不調によりパフォーマンスが低下している状態。ミスの増加や生産性の低下を招きますが、測定にはアンケート等での可視化が必要です。
企業の健康関連総コストの内訳を見ると、医療費やアブセンティーイズムよりも、プレゼンティーイズムによる損失コストの方が圧倒的に大きいことが多くの研究で明らかになっています。「社員が出社しているから問題ない」という認識は、経営上の大きなリスクとなります。
投資対効果を可視化する5つの指標(KPI)

経営会議でメンタルヘルス対策のROIを説明するためには、定性的な「社員の満足度」だけでなく、定量的なデータを用いたKPIの設定が必要です。自社で計測すべき5つの指標を紹介します。
1.休職率・離職率とその代替コスト
アブセンティーイズムの代表的な指標です。メンタル不調による休職者や退職者が1人出た場合、休職中の社会保険料負担や、代替要員の採用コスト、新人育成コストが発生します。これらの「1人あたりの損失額」を算出し、施策導入によって休職率が何%改善すればコストを回収できるかをシミュレーションします。
2.プレゼンティーイズム損失割合
見えない損失を数値化するための指標です。「WLQ」や「WHO-HPQ」といった標準化されたアンケートを用いて測定します。従業員の自己評価から「本来のパフォーマンスに対して、現在何%の生産性で働けているか」を算出し、平均給与を掛け合わせることで、自社のプレゼンティーイズムによる経済損失額を推計できます。
3.ストレスチェックの「高ストレス者割合」
義務化されているストレスチェックの結果も有効な指標です。集団分析から「高ストレス者の割合」や「総合健康リスク」の推移を年次で比較します。施策実施部門と未実施部門でのリスク推移を比較することで、施策の有効性を論理的に提示しやすくなります。
従業員エンゲージメントスコア(eNPS)
メンタルヘルス対策は、マイナスをゼロにするだけでなく、組織全体の活力向上にも寄与します。仕事への熱意や活力を測る「ワーク・エンゲイジメント」や「eNPS」を定期的に測定します。エンゲージメントの向上は、最終的に営業利益率や離職率の改善に相関するとされています。
EAP・相談窓口の「利用率」と「早期解決率」
EAP(従業員支援プログラム)や外部のカウンセリング窓口を設置している場合、その「利用率」自体がKPIとなります。「不調が重症化する前(休職前)に窓口を利用し、回復に至った件数」を計測することで、未然に防げた休職コスト(=ROIのプラス面)として報告できます。
まとめ ROI測定は「現状の損失」を知ることから始まる
メンタルヘルス対策の投資対効果を算出するステップは以下の通りです。
- 損失の可視化: アブセンティーイズムとプレゼンティーイズムの現状コストを算出する。
- 投資の明確化: 研修費用、EAP導入費、産業医の顧問料などのコストを合算する。
- ROIの算出: 「施策によって削減された損失額(リターン) ÷ 施策の投資額」で効果を提示する。
メンタルヘルスへの投資は、単なるコストではなく、企業が持続的に成長するための「人的資本の価値最大化」に向けた重要な経営戦略です。まずは自社のデータから、休職コストやプレゼンティーイズムの現状を試算し、経営会議での議論の土台を作ってみてはいかがでしょうか。
